サレジオの器

ーある日、美のタカラモノと出会ったー 

3.恋の喪失

 

桜井穂乃花と会ったのは実に2か月振りくらいだった。

「久しぶり修一」

「うん・・・久しぶり」

彼女は屈託のない笑顔を僕に見せながら喫茶店のテーブルの向こう側からそう言ってきた。

「あれ・・・もしかして元気ない?」

相変わらず勘が鋭い・・・

多分僕の表情や雰囲気やら身にまとっているオーラなど、そんなあらゆる僕を憂鬱な雰囲気にさせている要素を得意の因数分解でもしながら要点をまとめて瞬時に答えを出したんだろう。

でも、そんな知的に利発で勘の鋭い穂乃花のことを修一は好きだった。自分は勉強こそずば抜けてできていたが、どこか抜けていておっちょこちょいなところが昔からあって、いつも穂乃花に助けてもらっていた。経済原論の授業でレポートがあってその期限をたまたまメモし忘れていた時、彼女が心配して電話してきてくれて思い出したこととかもあった・・・

「修一ってば頭はいいのにどこかおっちょこちょいなんだよね・・・」

いつも彼女にはそう言われて恥ずかしい思いをすることがあった。

「ごめん・・・」

いつもそう答えるしかなかった。

「でも・・・何かそこがくすぐられるっていうか・・・ほっとけないんだよね。」

彼女にそう言われるとあながち悪い気もしなかった。

「元気・・・ではないけど・・・」

「そう・・・」

穂乃花は少し息を吐くようなポーズを取りながら、それからさっき注文したアイスレモンティーを一口だけずーっと音を立てて飲んだ。修一もそれに合わせるかのようにアイスロイヤルミルクティーを慌ててごくりと飲んだ。

「そういえばさっき電話で聞いたけど会社・・・休んでるんだって?どこか具合でも悪いの?」

「まあ・・・ちょっと・・・うつ病とか不眠とかだね・・・ちゃんと精神科にも行ってるし3ヶ月の間だけだし穂乃花が心配するようなことじゃないよ。」

半分本当だが半分嘘だった。

あれから中々夜も寝付けないほど鬱的な状態であったことは確かなので毎晩就寝前に処方してもらった睡眠導入剤を欠かさずに飲み干していたのは確かではあったが、会社をクビになった話はいまだに彼女に切りだせていなかったのだった。

「そう・・・それならまあよかったけど・・・」

穂乃花は少し安心したようにみえたがすかさず聞いてきた。

「心配かけさせないでよ・・・」

僕はその場でうつむいてしまった。

なぜか気まずくなってきたのでしばらくお互いに少しだけ下を向いてしまった・・・

自分の足元の床のタイルがチャコールグレーのような色をしていたことにその時初めて気づいた。

「今日用があるってこのこと・・・?」

修一は思い切って聞いてみた。

今朝がた穂乃花から珍しく用があるからって携帯に電話があったのだった。普段はどこかに行きたいとか買い物に行きたいとかデートの約束だとか何かしろ用事があるときにしか電話してこないくせに、何か少しだけ違和感というのか・・・変だな?と修一はその時思った。

「う・・・ん、実はそうじゃなくて・・・」

穂乃花も中々切り出せない感じだったので僕は思い切って自分からトライしてみることにした。

「もしかして・・・あのニュースのこと?」

「え・・・?」

穂乃花はそう聞かれて何かばつが悪そうな表情で顔を急に横に向けてしまった。

「やっぱりそうか・・・」

僕も知られてしまったことがショックだったのでまた下を向いてしまった・・・

またもやタイルのチャコールグレーが目に差し掛かった。

「修一ごめん・・・単刀直入に聞けなくて・・・でも、あれってまさか修一関係してたりしないよね?」

「え・・・?」

何でそういう結論になるんだ?まだ何も話してもいないのに・・・

「何で・・・そう思うの?」

とっさに聞いてみた。

「そりゃあ・・・だって・・・さあ」

どう切り出したらいいのか彼女も迷っているようだった。

「何ていうか・・・勘?」

「勘・・・?」

僕は目がハテナマークになった。

「だって修一、最近LINEしてもまったく返信ないし、たまに一日たっても既読になってない時あったし。それで久しぶりにやっと電話が繋がったと思ったら「会社休んでる」だなんていうもんだからさ・・・」

「それは・・・最近疲れてたんだ・・・いっただろ・・・不眠で精神科に通ってるって。」

「そりゃそうだけど・・・でもLINEで返事くらいくれたっていいのにさ・・・入力するなんてすぐにできるじゃん・・・」

「ごめん、それは悪かった・・・」

僕は素直に謝った。

「それはいいけどさ・・・それでね、ピンときたの。何かあったんじゃないかって・・・」

穂乃花は自前の鋭い直観力でずけずけと僕の聞かれたくない話題に入り込もうとしていた。

「先日ね、テレビで見ちゃったんだ・・・たまたま夕飯の時にお父さんが修一の勤め先がニュースになってるって騒いでて・・・それで気づいてしまったという流れです・・・」

「そうなんだ・・・」

「ごめん、悪気はないの。知りたくなくても目に飛び込んできちゃって・・・それで、今朝電話してみたら会社休んでるって・・・それでね・・・すぐにピンときたの。」

「そうなんだ・・・」

それしか言葉にならなかったが、同じセリフをリモコンでリピート再生している気分だった。

「修一まさか事件と関係してたりしないよね・・・?」

僕はどこをどううまく辻褄を合わせて説明すればいいのか分からなかった。もはや回避不能だと思い、彼女には本当のことをすべて話すことにした。

彼女はしばらく呆気に取られてた・・・

「そう・・・」

彼女は少しも微動だにしなかったが、まったく動揺してないわけではなさそうだった。それを証拠にすでに飲み終わってるアイスレモンティーをズーズーと音をたてながらいつまでも飲んでいるようだったから。

「驚いた・・・?」

僕は何も話さない彼女に向かってそう聞いた。

「お・・・驚いたけど、それは・・・」

彼女も気まずいようだった。

しばらくすると彼女は急に話を変えてきた。

「あのさ・・・今後はどうするの・・・?」

そう言われても自分でも先のことなど分かりようがなかった。懲戒解雇にはならなかったけど、経歴に罰点がついたのは一目瞭然でうまくやらないと再就職はかなり厳しい状況なのだった。

「とりあえず・・・失業保険もらって・・・それで・・・」

「再就職・・・とか?」

彼女が僕の会話のあとに続けるようにそう聞いてきた。

「うまくいくの・・・?」

「え・・・?」

彼女が途端に不安をあおるようなこと言ってきた。

「だって・・・こんな大ニュースになったら経歴に響くし・・・それに、今のこのご時世いくら隠してもネットやSNSであっという間に拡散されてしまっているかもしれないし・・・」

そう言えばそうだ・・・いつもながら穂乃花は機転が利くし賢い・・・そこまで考えていなかった。

「もしそうなったら大丈夫なの・・・?」

「うん・・・それは・・・」

そう言われて僕はたちまち不安になってきた。

僕が黙ってると彼女もうつむいてしまった。しばらく二人とも窓の方を眺めながら黙っていた。そんな感じで数分過ぎると穂乃花は気まずくなったのか、いきなり立ち上がった。

「ごめん・・・これ以上聞くと尋問みたいになっちゃうね・・・帰るね・・・」

「帰るって・・・いきなりどうしたんだよ・・・」

僕は彼女が僕から途端に去っていくような気がして慌てて聞いた。

「ごめん・・・しばらく一人で考えさせて・・・」

そう一言言うと彼女は自分の飲み代だけカウンターに置いてさっさと店を出て行ってしまった。

僕はどうしようもない寂しい感情に襲われながらぽつんと店に一人取り残された。

彼女からその後しばらく連絡は来なかった。