サレジオの器

ーある日、美のタカラモノと出会ったー 

5.新たなリスタート

 

「それじゃあ・・・修一君これからはよろしくたのむね」

水川ネジの水川静社長にそう面接の時に言われたときは、心底ほっとした。

そんなに簡単に受かると思ってなかったからだ。

彼は父立彦の仕事の取引先の町工場の社長で、親の代からネジ工場を継いでいる筋金入りの職人だった。どんなことも妥協せず少しでもいい品質のものを世に送り出したい一心でこの道を進んできたそうだ。大田区にある本社事務所と工場が隣接する小さな町工場にしか過ぎなかが、一日になんと数十万本ものネジを生産する優良零細企業で、大手企業からの信頼も厚く知名度こそはないが技術・品質ともに秀逸なものがあった。

 あの日、父立彦に話があると呼ばれた時に修一は水川社長のことを教えてもらったのだった。

「何でも、妹さんの息子さんが不登校で引きこもりだそうだ。だから、私が久しぶりに彼に会ってお前のことを話したら同情してくださってな。事件のことやニュースのことも重々承知で雇ってくださるそうだ。」

 修一は父に勝手にそんなことを決められたくはなかったが、何十社も受けても一向に先が見えない状況ではいよいよそのツテに頼るしかないと思った。

「まあ、お前はまだ大企業にこだわりがあるんだろうが・・・一度こういう会社を受けてみるのもいいんじゃないか?」

 そう言われて半ば説得されたような気がした。よく分かりはしなかったが、修一はしぶしぶ面接に行ったのにも関わらず、その場ですぐに大歓迎してくれて思いのほか考え方がガラッとかわってしまった。

「お父さんからお話を聞いてね・・・就職が大変だってことを・・・それでね、是非うちに来て働いてもらえないかってことになってね・・・」

父親が無理やり頼み込んだのかと思っていたが、水川さんの方が諸手を挙げて大歓迎してくれているようで、修一もその場で即入社を決意してしまった。

「いや~君の経歴は素晴らしいよ。早稲田を首席で卒業だなんて・・・そんな社員うちに一人もいないから是非力になってくれればと思いましてね・・・まあ、私は本来なら履歴書なんて信用しないんだけどね。でも、お父さんのお人柄もあるし、それに君と会って一目で君も信用できると思ってね・・・」

 そんなことまで言われて修一は正直、気恥ずかしくもなった。何でも、父立彦の話だと経済学部卒で数字に強い修一には是非とも、生産管理の仕事を頼みたいとのことだそうだ。工場長と連携を取りながらネジ工場の生産現場の指揮監督を取ってほしいとのことだった。

そして、晴れて入社が決まってから研修が始まり、修一は工場の見学などをさせてもらった。

「こちらが工場長の亀山さんだ。主に、この生産現場の指揮監督をしてもらってる。工場の生産ラインやスケジュールの管理や作業員の採用や配置計画などをお願いしてる。」

「はじめまして、亀山です。水川さんからは話はうかがってます。是非、一緒に頑張っていきましょうね。」

水川社長がそう説明すると、隣にいた亀山さんが修一に挨拶してきた。僕ごときの若輩者にわざわざ丁寧に挨拶をしてきたので、野間証券にいた時とは待遇の差というのかギャップのすさまじさに思わず驚いてしまった。

「はじめまして・・・形見修一と申します。製造業の勤務は初めてで未熟なところはありますが、是非お願い致します。」

修一は亀山工場長が思いのほか丁寧な挨拶をしてきたので、負けないように精一杯誠意を込めながらそう言ってお辞儀をした。しかし、途端に亀山さんはにこっと笑顔になり明るい表情をし出した。

「いや・・・あはははは・・・製造業だなんてそんなあらたまってさ・・・大袈裟だよ、修一くん!野間証券の社員さんから見たらちんけな掃き溜めみたいな町工場だけど仲良く宜しくね!」

 なぜか途端にフランクに親しみを込めて亀山さんはそう言ってきた。たった一度挨拶を交わしただけでもう自分という人間に慣れてしまったのだろうか・・・?

「亀山さん、ちょっとさ・・・まさか昼間っから酔っぱらってないでしょうな・・・」

「あははは・・・大丈夫だよ!昨夜は女房に止められたから!」

「ははは・・・そっか・・・それは残念でしたね・・・」

水川社長も途端にフランクになって笑いながらそう冗談っぽく言った。

野間証券のエリートの世界とはうって変わってがらりと雰囲気が違うような気がして、そんな二人の会話にはついていかれそうになかった。

「まあ、亀山さん・・・ちょっとおいらは事務所に戻る用事があるから・・・修一くんに工場案内してやってよ・・・」

「はいよ・・・船長」

そして、改めて水川ネジの工場の現場を案内してもらった。

水川ネジは実に様々な工業用ネジを生産していて、ライン生産や単位ごとの生産方式であるロット生産など色々な組み合わせで現場を管理しているようだった。機械は見事なまで精巧に造られていて、これらの工作機械のほとんどは昭和に製造されたものらしい。修一がそのことに驚いて質問すると

「いやー、ははは・・・世の中そんなもんだよ。この機械なんて昭和43年製だからね・・・昔の人は機械への思い入れがすごいのかもね。それに比べて最近の新しい機械はすぐに壊れる。」

 また豪快に笑いながら亀山工場長は得意げに語った。

「社長や先輩からこれから色々教えてもらうかと思うけど、君にはおもに原材料の発注や在庫管理の他に、工場の生産計画を行ってもらうことになるけどね。営業から上がってきたデータを元に需要を予測して今月はどれくらい生産したらいいだとか・・・それに伴い利益が出るように計画してもらえれば・・・まあ、僕は数字が苦手だから詳しくは社長から聞いてください。」

 亀山工場長は急に真面目に話し出したかと思いきや、最後は分かりませんの一点張りだった。

「あ・・・でも、分からないことがあったら何でも私に聞いてください。工場の生産ラインと上手く連携とらないとどうしても業務上ミスが起きるからね・・・そこはうまくやっていきましょう・・・時間があれば僕はいつでもこの現場かあそこにある事務室にいるからさ・・・」

 そういって亀山工場長は遠くにある自分の部屋を指さした。

工場の奥にある木製のドアの向こう側にどうやら工場長室があるようだった。

「はい、分かりました。ありがとうございます。」

そのようなやり取りをして一通り工場案内は終わり、その後に水川社長から今後の話を簡単に教えてもらい、その次の日からさっそく研修も兼ねて実際の業務に取り掛かることになった。

いよいよ、新たなリスタートだ・・・と修一は思った。