サレジオの器

ーある日、美のタカラモノと出会ったー 

13.教室での日々

 

あの企画展と偶然出会ってから修一の頭からあの美しい映像が離れることはなかった。何かによって偶然誘われたような・・・そんな運命的なものだとさえ感じ取っていた。そして・・・それは何かに魅了されたというよりかはむしろ憑りつかれた、と言った方がいいくらい修一を夢中にさせていた。修一がそれほど何かに夢中になるのは勉強以外では生まれて初めてのことだった。いや・・・得意の勉強ですら彼にはそこまでの情熱を与えはしなかったかもしれない。これは・・・生まれて以来の衝撃的なことだった。まさに、雷に突然打たれたような・・・そう・・・「青天の霹靂」という言葉はこのためにあるのだと修一はその時に思った。

あの企画展の展示物コーナーで売っていた片山廬山の絵画集や書物のようなものを一通り買い漁ってから、それからというものの修一は一人部屋に閉じこもってはたからみたら気が狂ったかのように見えただろうと思えるくらい毎日朝から晩まで必死に読みふけっていた。どの絵も素晴らしく儚くそして美しかった。写真は決して実物ほど心を高揚させるものではなかったが、美術館で見た時には気づかなかったような新たな視点にも改めて気づかせてくれたことが修一にとっては何よりもありがたかった。そして、そんな日々が何週間も続くとまた案の定、父立彦と母尚子は修一のことが気がかりになり始めたのか、息子が部屋に籠っている間にひそかに二人で話し始めた。

「修一のやつ一体ここ最近何をやってるんだ?」

「さあ・・・分からないけど、この前ちょっと部屋を覗いたら何やら絵画集のようなものを大量に買い込んで部屋で一晩中読んでるみたいね。」

母尚子がそう言うと、立彦は呆れたように深いため息をついた。

「一体何を考えているんだか・・・いまだに琴さんの行方も分からずじまいだというのに・・・こんな時に現実逃避か?それとも、この年でいきなり絵でも始めたいとでもいうつもりか・・・?」

母尚子は少しばかりぼんやりと考えていたがとっさにあることを思い出したかのように話し始めた。

「そういえばさ・・・あの子、昔絵とか好きじゃなかった?勉強ばかり好きで特に何も趣味がなかったようなあの子が小さい頃絵だけは夢中になって描いてた。ほら・・・お父さんと一緒に観に行ったことあるじゃない?学校の美術の先生に推薦されて地域の絵のコンクールか何かで賞もらってたじゃない。」

母尚子がそう言うと

「そんなの子供の頃の話じゃないか・・・」

立彦はいったいそれがなんだという感じでまた深くため息をついた。

「でも、私はセンスあると思ったけど。それに・・・私の亡くなった祖父も画家だって話したことあるでしょ?案外・・・隔世遺伝かもしれないわよ。」

これは、母もあまり修一に話したことはなかったのだが、確かに母方の祖父は巨匠と呼べるほどではなかったが、生前はそこそこ有名な画家だったらしく個展を開いたり画集を出したり、芸大の講師の仕事をしていたらしい。

母尚子がそんなような話をしだすと

「バカバカしい。」

と言って、立彦はそんな話は聞きたくないとばかりについに自分の書斎に行ってしまった。

「はいはい・・・そうですか・・・」

母尚子も何を言っても無駄だと思って、それ以上この件については何も言わないことにした。

 そして、修一は気がついたらガラス工芸の教室に通うことにしていた。ネットで検索したところ、ガラス工芸教室というのは思ったよりも少なく、自宅で気軽に通える場所には到底なかったため、電車で何度も乗換をしながら1時間30分もかけての教室に通うことになり、毎回遠路はるばるというのか一種の小旅行気分でさえもあった。というのも、伝統工芸自体が後を継ぐ人が年々少なくなり、その中でもとりわけガラス工芸の人気は停滞してきているとのことであり作家自体も人手不足のようでもあった。

 修一が通うことに決めたのは、緑川ガラス工芸教室というところでかなりの郊外にあった。教室を運営している講師の先生は、緑川春という現役の女性ガラス造形作家であり、普段はアトリエ兼工房のようなところで創作活動をしながら時折個展を開いたり、主にネットを中心に色々なセレクトショップやガラス専門店に販売をしているそうだが、もっと多くの人にガラス工芸を身近に感じてほしいとの想いから三年ほど前からこの教室を開くことにしたそうだ。この教室に決めた理由は特にこだわりはなかったが、5,6人の少人数制の教室であることや初心者用の入門コースから気軽に通えるとのことがホームページに書いてあったからだ。そして、サイトの写真ではあったが、何よりこの先生のガラスアートの細やかな美しさに修一が一目ぼれしたのもあった。

 「今日から通うことになりました、形見修一と申します。まだ初心者ですが、どうぞ宜しくお願い致します。」

 修一がそう挨拶すると他の生徒さんらが拍手をして温かく迎え入れてくれた。

「えー今日から入門コースに通われることになりました形見修一さんです。ガラス工芸自体に触れるのが初めてだそうで、みなさん分からないことがあれば色々と教えていただければと思います。」

 緑川春先生は生徒さんの前でそう言い終わると、修一にさっそく席を案内してくれた。その日の参加者は修一を含めて5人ほどだった。一人は自分より少しだけ上の30代くらいに見えるがまだ若い男性で、それ以外には50代くらいに見えるあごひげを生やした風貌の貫禄のあるおじさんもいた。そして自分の席の目の前には二人のおばさんがいて、もう引退しててもおかしくないような初老とも言えるほどの年齢の人たちだった。修一が緊張した面持ちで席に座るとおばさんは

「宜しくね・・・」

とボソっと言ってきた。

「宜しくお願いします。」

修一は一言だけそう返事をした。

「えーと今日みなさんにやっていただきたいことは先日お伝えした通り、パート・ド・ヴェールと言われるもので、この技法を使って簡単なアクセサリーを作ることです。先日、私が簡単に手順を紹介してみましたので、もう一度おさらいをしながらそれぞれ創意工夫しながら作ってみましょうね。」

 何やら修一には何のことだか分からなかったので、ドギマギしていたら

「大丈夫よ・・・あなた初めてだから春先生が教えてくれるから。」

さきほど話したおばさんが自分の緊張した面持ちを心配してくれたのかそうひっそりと小声で教えてくれた。

「ありがとうございます。」

先ほどからこの二人は何やらひそひそ話をしているので友達同士のようだったが、片方の人は一向に修一と会話しようとせず、同じ人だけ親切にいろいろと話しかけてきた。恐らくもう一人の人は自分と同じで人見知りなのだろう・・・と修一は思った。

緑川先生が簡単に作り方の手順を説明すると、みんなそれぞれ創作作業を開始したようだった。他の人たちは机にあらかじめ用意されていた道具を取り出して黙々と作業に没頭し始めた。

「形見さん・・・ごめんなさいね・・・他の生徒さんもいらっしゃいますから・・・そうですね・・・今日初めてですもんね・・・教室の後で色々と伺いたいですけどまあ、授業中ですからさっそく何か作業をしてみましょうか・・・」

そう言って春先生は修一の横に立って色々な道具を取り出しつつ説明し出した。

「まず、これから修一さんにやっていただきたいことは、この粘土で型を作ることです。」

 彼女は修一に説明しながら、机に置いてあった作業用キット一式の中から、赤茶色のような色合いをした粘土の具材をある程度の分量取り出して修一の前にボンと勢いよく置いた。

「他の生徒さんには、以前別の課題の時に他の工程も少し説明してある程度体験してもらってるのですが、今日来たばかりじゃ分からないわよね・・・だから、今日はこの粘土で何か作りたいものを形作ってみてください。」

 いきなりそう言われても修一は何も考えてこなかったので、何をどうすればいいのやら少しばかり戸惑ってしまった。ホームページを見た限りだとこの初級者用の入門コースでは「パート・ド・ヴェール」という技法を主に学ぶコースらしく、まず粘土で形を作り、さらにそれを元に石膏で型を作るそうだ。そして、原料のガラスの粉と言われる特殊な材料で色合いをつけて好きなようにデザインをし、それから電気炉と呼ばれるもので焼き最終的にさましてから丁寧に研磨して出来上がる、といった工程だった。といっても、入門コースの生徒さんには幾分か難しい課題ではあるので、春先生が教室をぐるりと周り生徒さんを一人一人見ながら分からないところは都度アドバイスしたり、間違っているところは修正して調整しながら作業を進めていくのがこの授業のセオリーだった。

「え・・・と何でもいいのでしょうか・・・?」

修一は困惑してそう言いながらも、慌てて頭の中で何を作ろうかと悩んでいた。

春先生は少しだけくすっと笑いながら

「そんな肩に力を入れなくてもいいですよ。修一さんはまだ今日が初めてなんですから。そうだはね・・・簡単な小さな容器でも作ってみたら?」

そのように修一にアドバイスしてきた。

「はあ・・・」

そう言われて納得したようなしないような感じになった。

何でも、他の生徒さんは何度か作業を部分的にではあるがすでに経験済みなので、いきなりアクセサリーを今回作ろうということになっているそうだが、修一にはまだ難しいとのことで簡単な器を作ってみたらどうか?とのことだった。

「分かりました・・・」

 修一はそう言われて粘土を徐に取り出してさっそく作業に取り掛かってみた。といっても、粘土をこねくり回す作業があるなんて聞いてなかったのでほとほと困ってしまった。思えば記憶している限りでは、粘土なんて小学生の時以来まともに触ったことなどないのだった。おまけに修一は手先が不器用だったので、粘土が手先にまとわりついてなかなかうまく形作ることができなかった。

「いきなりの挫折か・・・?」

修一は心の中でそう思った。

「まあ・・・粘土は普段やってないと難しいですよね・・・慌てないで・・・今日はそれをずっとやっていていいですから。そもそも、一つの作品を創るには全工程合わせると数か月はかかるから・・・」

「そんなにですか・・・?」

「ええ・・・」

気が遠くなる・・・と思った。

春先生はにっこりそう言うと向こうの別の生徒さんの様子を見に行った。

 結局その日、修一はまともに粘土を作ることすらままならず授業は終了した。

 修一は自宅に帰ってから今日一日のことが悔しくて頭から離れなかった。そもそも自分は美しいあの日あの展示会で見たようなこの世のものとは言えない・・・そんな素晴らしい荘厳な模様のガラスを作りたいと思っているだけであり、粘土などにははじめから興味がないのだった。それに昔から自分は手先がいたって不器用だった。美術こそは昔から好きでデッサンや絵画は大の得意ではあったが、手先は超がつくほど不器用だった。だから、段々とこの授業についていかれるか不安を感じてきた。しかし、それと同時に修一はこの課題を乗り越えられないと、この世のものとは思えないあの「美しさ」には到底たどり着くのは無理なんだと感じていた。そう思ったらいてもたってもいられなかった。諦めてなるものか・・・そう思って修一は翌日さっそく家の近くのホームセンターで粘土の具材を買ってきて、来週の授業までの間、自室い籠って密かに猛特訓をすることにした。毎日毎日、朝から晩まで食事と一息つく休憩以外は、ひたすら粘土とにらめっこをしていた。最初は、中々うまくいかなかったがひたすら格闘していると段々と手が粘土の感触になれてきたような気がしてきた。よく分からずこねくりまわしていただけだったのが、次第に自分の意思で粘土を丁度いい形にちぎり、それを重ね合わせて整えていくことができるようになった。自分の手が粘土に振り回されているようだった感触が段々と、自分から粘土を操っているような感覚へとシフトしていって、粘土を自在にコントロールできているような気がしてきた。そして、翌週になりまたレッスンの日がきた。

「うまいは・・・修一さん・・・すごい上達ですよ。」

さっそく緑川先生に褒められた。

「センスいいわよ・・・先週とは大違い・・・見違えるくらい。」

やや大げさな表現だったが、修一は自室にこもっての猛特訓の効果があったのだと嬉しくなり、その言葉も素直に受け取れた。

「ありがとうございます。」

修一が恥ずかしそうにそうお礼を言うと

「もう少し手に水をつけて適度に粘土に穴をあけてからやるとさらにうまくいくはよ」

先生がそうアドバイスしてくれて他の生徒さんを見にその場を離れていった。

同じ作業机の向かい側にいた先週声をかけてきたおばさんが

「よかったはね・・・緑川先生、滅多に褒めてくれないからすごいわねあなた・・・」

驚いたような嬉しそうなそんな曖昧ともとれる表情をしながら、緑川先生が去ってから自分にそうひっそりと言ってきた。

「はあ・・・そうなんですね。」

なんでも、そのおばさんは小原さんという方らしく、普段は専業主婦をしているが老後の趣味ということで何かないかと地域の情報誌を見ていたら、近所でこの教室がたまたまやっているということを知りさっそく通い始めたそうだ。そして、娘にお孫さんが生まれたばかりらしく、将来的にはその可愛い孫のために子供用のガラスのコップやアクセサリーやおもちゃを作ってプレゼントしてあげたいそうだ。

「まあ、私はもう先行き短いからね・・・こんなことくらいしかもう子供のためにやってあげられることもないし。それに・・・年取ると他にやることないし何か目標がないと張り合いがなくなるでしょ?」

 修一はまだ若いし年配者のそんな気持ちなんて分からなかったしそんなものなのかと思ったが、母親からそんなものを受け取った娘さんはさぞ嬉しい気持ちになるだろうなとも思えた。

「はい・・・みなさん、今日の授業のまとめをやりますね・・・作業を終了してください。」

緑川春先生がそう言った後に、今日の授業のおさらいを軽くやってその日は終了した。みんなが先生にお礼を言いながら教室を去っていくと、春先生が修一にとっさに話かけてきた。

「修一さん、ちょっとお時間ある?」

突然そんなことを言われて僕は何だろう?と少しばかり緊張したが

「はい・・・」

と一言だけ返事をした。

 そして、みんなが帰ったあとに先生は修一にインスタントのコーヒーを差し出してくれた。

「ありがとうございます。」

そうお礼を言うと春先生は向かいに席に座って来た。

「修一さんすごい上達ね・・・驚いちゃった。」

「はあ・・・」

突然何を言うのかと思えば先生はまたもや褒めてきた。

「家で練習でもした・・・?」

先生は図星をつくかのように鋭くそうついてきた。

「はあ・・・分かるんですか?」

「そりゃあ・・・初日があれだけ不器用そうだったからね・・・最初は心配してたんだけど、上達がすごくて思わず驚いてしまって・・・」

不器用というのは当たっていたが、まさか他人に言われるとは思わなかった。でも、先生は嬉しそうだった。

「ありがとうございます」

「そうだ・・・もしよかったら3ヶ月後の発表会に作品を出してみない?」

いきなりそんな提案をされた。

「発表会・・・ですか・・・?」

「そう・・・自分で作った作品を一人ずつみんなの前で発表してもらうの。」

なにやらそのようなものがあるらしい。

「ええ・・・でも、まだ始めたばかりじゃ・・・」

「そうね・・・本当は半年から1年くらいたたないとまず誘わないんだけどね・・・何かあなたすごい熱心そうだと思って・・・多分いけるんじゃないかしら・・・」

先生はそんな風にしきりに僕を誘ってくれた。

「ありがとうございます。」

承諾するでもなく断るでもなく曖昧でいたら

「まあ・・・いけそうだったらにしましょう。まだ分からないけど」

先生はそう言った。