サレジオの器

ーある日、美のタカラモノと出会ったー 

17.頂上への道

 

修一が片山廬山の下で修業を開始してはや、二か月がたっていた。といっても、普段はほとんど雑用全般でガラス工芸についてなど基本的なさわりを教えてくれる程度で、何か作業をする時にもほとんど手伝わせてすらもらえなかった。そして、片山廬山には、住み込みで修業をさせてもらう条件として、朝起きたら家の掃除と床拭きをすることだった。そして、朝昼晩の朝食を作る事だった。料理をあまりしたことのない修一には大変面倒なことだったが、すでに廬山の残したメモにレシピが書いてあったので何とかなった。といても、廬山は和食しか食べないのでほとんど毎日メニューは同じだった。ご飯は電気釜がなかったので毎晩囲炉裏の釜で炊いた。野菜などは、廬山が家の前の畑で自家栽培をしているので、それで取れた野菜でおしんこや、ぬか漬けなどを作り、あとは味噌汁を毎晩作った。魚などは業者から取り寄せているので一切買いに行く必要がないのか、冷凍してあるものが台所にあったのでそれを使って毎日同じく囲炉裏で炭火焼にして食べた。いったいいつの時代の生活だと思いながらも、修一は従わないわけにはいかなかったのでそうした。それにしても和食はいくら健康食とはいえ、ここまで徹底するのは逆に偏食じゃないかとさえ思えた。

「偏屈を通り越して一種の変人じゃないか」

修一はとんでもない人のところに弟子入りしてしまったのではないかと心の中で思った。

そして、廬山はいつもいう。

「和の心を保ってこそいいものが作れる」

修一にはさっぱり分からなかったが、その通りにした。そしてこうも言った。

「何事も中途半端はいけない。やるなら徹底しろ。」

それが廬山から教わった教訓の一つだった。

 そして、夕飯の時間はいつも奥の部屋にある囲炉裏を二人で囲んで夕飯を食べるのだった。廬山は奥の方へ座り、囲炉裏を挟んで向かい側に修一が必ず座った。そこで、釜めしをたいたり、塩魚を焼いたりした。本格的な炭火焼というものだった。

そして、ある晩に廬山は修一に言ってきた。

「形見修一とはいい名前だな・・・」

修一には何のことだかさっぱりだった。

廬山はいつもながら貫禄のある面持ちでまた意味ありげなことを言い出した。

「それはどういった意味ですか・・・?」

修一は聞いてみた。

「なあに・・・大したことはない・・・ただ、形見のように大事な作品を残せればいいなあと思ってな・・・」

形見とは亡くなった人の遺品のようなものだったと思うがあのことだろうか・・・?

廬山はいつも意味深なことを言うが、修一が聞くまで一切何も教えてくれなかった。

「亡くなった後にもその人の面影を思い出させるなにか・・・そんな作品を一度は創ってみたいと思わないか?偉大な芸術家はそうやって何かを生み出してきた。だからこそ、死してもなおその人間の魂が宿るのだ。そして、その作品を見てその経験を通して、その偉大なる人物の記憶が蘇る。」

 修一には一体何を言っているのかさっぱりだった。

「それが、僕の名前と何か関係があるのですか・・・?」

 廬山は塩魚を頬張りながらそれを少しちぎって食べ終えると

「その人の名前も作品に投影されるということだ。名前は作品に魂の息吹を与える。名前は生命と同じく作品そのものでもある。一見関係ないように思えるが、実は大事なことなんだよ。まあ、それだけがすべてではないが・・・それを超える何かがあれば別だ。」

 修一は何となくで意味が分かったような分からなかったようなそんな感じになったので、それ以上聞くに聞けなかった。その場の雰囲気が少しだけ重たくなったが、廬山はまったく気にしないでせっせと食事をすませて、いつものような10時前に寝て、また朝の6時には起きた。

 そして、次の日には廬山が修一に作品を創ってみろと言ってきた。いつもは、基本的なことしか教えてくれなかったのが、どういう風の吹き回しかいきなりすべての工程を一人でやってみろと言われた。この廬山の得意な技法は吹きガラスというもので、ドロドロに溶かしたガラスの材料を吹き竿につけ、息をふきこんでガラスの形を作りあげるガラス工芸だった。

かなり手先の器用でないとできない上に、坩堝(るつぼ)と呼ばれる炉の中の温度は1300度以上にもなる灼熱地獄だったので絶えず汗が止まらなかった。適度にさましたり息を吹きかけたり形を徐々に整えていくのだが、その工程が地道で根気がいる作業だった。そして、最終的にはポンテと呼ばれる、吹き竿から別の竿に受け渡す作業でこの後にガラスのコップの柔らかく開いた口を広げて仕上げていくのだった。修一は普段は基本的な作業ばかり手伝わされてあとは廬山の作業しているところを傍で見ているだけだったので、いきなり一人で全部やってみろと言われても見様見真似のような形にならざるを得なかった。しかし、そんな風に内心では思ってみたものの予想よりも遥かにうまく出来上がったようにも思えた。

「どうですか・・・?」

 修一は恐るおそる聞いてみた。

廬山は修一が完成させたガラスのコップをしばらくじっくりと眺めていた。修一の渾身の作品とまでは言えなかったが、初めて一人で完成させた吹きガラスの作品だった。廬山はそのコップを実に様々な角度からゆっくりと観察するように眺めていた。時には同じ箇所を眺めていたかと思いきや、いきなりコップをくるっと180度回転させてからそっちの部分の表面をまじまじと見ていた。

「今日はこれで終わりだ。夕飯の支度でもしろ。」

 廬山が何も感想を述べるでもなくいきなりそう言ったので、修一は一体何なのか分からなかったがとりあえず夕飯を作る準備をすることにした。

 そして、そんな日々が毎日のように続いた。そして、廬山は相変わらず修一には何も感想を述べるでも指摘をするでもなくただただ黙っていた。そして、それが何か月ものあいだ続いたのでいい加減修一はうんざりし出した。そして、ある時、廬山にこう言った。

「何で・・・何で、何も言ってもらえないのですか?」

 しばらく廬山は黙って修一のことを見ていた。そして、修一にも負けず劣らず寡黙なその男はその重たい口を開いた。

「何もないってことは・・・つまり、そう言うことだ。感想が言えない作品だってことだ・・・」

 修一ははっとした・・・それはつまり、感想を言うまでもないほどの駄作だということだろうか?

「それは、つまり駄作ということですか?」

 心の中で思ったことをそのまま正直に口にしてみた。

「そうじゃない・・・駄作ならダメだしの一つでもする。そうではなく・・・何もなく空っぽだってことだ・・・」

 修一はそれを言われて少なからず衝撃を受けた。空っぽ・・・自分の作品が廬山にはそのように見えたのか・・・

「お前は・・・一体何を考えながら創っているんだ?」

 廬山は修一に直球玉のごとくストレートにそう聞いてきた。

何を考えながら・・・?

 そういえばそんなことを考えてはいなかったかもしれなかった。いや・・・考えてないというよりかは、今までは散々色々なことを覚えたり学ぶのに必死でそれどころではなかったといった方が正解だった。

「それが、なきゃどんなに素晴らしい作品もガラクタだ。」

 廬山はそう言った。

 修一は顔を伏せる様にしてその場で立ち尽くしてしまった。

 そして、廬山は最後に修一に向かってこう言った。

「いいか・・・今日の夕飯の時までにそれを考えておけ。」



 そして、夕飯の時間になった。相変わらず囲炉裏を挟んでの会話でもう毎日のことなので修一にとってはもはや見慣れた光景だった。しばらく、二人でご飯やら味噌汁やら焼き魚を食べていたが、夕飯を二人ともすべて平らげると廬山が修一に聞いてきた。

「さあ・・・聞かせてもらおうか。」

 ついにこの時がきた・・・ 

修一は腹をくくって、自分なりに出した答えを廬山に語った。

「やはり、私が創りたいのは先生のような生きる希望を与えるこの世のものとは思えない美しいものです。ひたすらそれを追い求めてここまでやってきました。だから、それを完成させるまで、絶対に諦めたくはないんです。先生に何を言われようと決してくじけないつもりです。」

 修一は自分の想いをありったけに伝えた。

 廬山はしばらく黙って修一の目を見ていたが、少しばかりため息をついた。

「それはもう聞いた。それは分かることだ・・・お前のその想いは確かに俺に伝わった。だからこそお前を家に入れたんだ。誰も入れたこともないにも関わらずだ。でも、どうやら俺の見込み違いだったかもしれないな・・・」

 廬山は冷たく突き放すように修一にそう言った。

「ちょっと待ってください・・・見込み違いって何ですか?俺は・・・もうダメだってことですか?破門ですか・・・?」

 修一はとっさにそう聞いた。

「破門も何も弟子を取るとは一言も言ってない。お前の情熱が俺に伝わり俺もお前に賛同したまでだ。そもそも俺は弟子はもう取らないことにしてるんだ・・・今まで何人も俺の元を訪れて弟子入りを頼みこんできたやつがいたがな・・・どいつもこいつも俺の弟子になりたがっているだけで、誰も俺を抜こうを考えるやつはいなかった。そもそもそういうやつらは俺の弟子という肩書に憧れているだけで、何かを目指そうとしているわけではないんだ。だからそんなやつらを弟子にしたって仕方ないだろ?俺は自己満足のためにこの業界にいるわけじゃないんだ・・・」

 片山廬山は普段は超がつくほど寡黙で必要なこと以外は一切言わなかったのにも関わらず、いつにも増して雄弁だった。修一が目を丸くしていると続けて廬山は話し出した。

「お前が俺に挑みかかってくる姿は偉大だった。弟子にしてくれるかどうかも分からないのに、毎日のように俺の家の前で一晩中自分の胸の内をずっと叫んでいた。そんな骨のあるやつは今まで初めてだった。だが・・・どうやらお前も同じようだ。」

 修一はそれを聞いて何も言えなくなってしまった。

「明日の朝までに一晩寝ずに考えろ・・・」

 廬山はそう言って部屋を出て行こうとしていた。

「もし・・・答えが出せなかったら?」

 修一は廬山の後姿に向かってそう聞いた。

「荷物をまとめて明日帰ってもらう。」

 そう言い残してさっさと寝室へと行ってしまった。



 修一は一晩中苦悩して本当に寝ずに考えた。これが最後であり、もし答えを出せなかったらすべてが終わるのだった。自分の寝室に戻ろうかとも思ったが、そんなことを考えることすらできないくらい、廬山に言われたことで頭が一杯になっていた。そして、気づいたら囲炉裏の部屋で夜を過ごすことになっていた。廬山の言葉の意味をもう一度考えてみた。

「お前は・・・一体何を考えながら創っているんだ?」

 その言葉の本当の意味するところは分からなかったけど、修一は自分は一体何を想ってそもそもこの世界に入ろうとしたのだろうか?・・・とふと考えた。人生がうまくいかないからなのか?あるいは、人生に失望した時に廬山の作品と出会い衝撃を受けたからか・・・

 そして、ついには深夜になってしまった・・・

修一はついに眠くなりうとうとと囲炉裏に囲まれながらその場でうたた寝しそうになってしまった。そして、その時ふいに夢を見た・・・

 夢の中で修一は高校生に戻っていて、サレジオ学院に通っている優等生だった頃だ・・・

何かやりたいことも特になく適当に学校生活を送り、勉強にひたすら打ち込んでいた。何があるでもなくただただ過ぎ去っていく日々・・・

果たして自分はこのままでいいのだろうか?とふと思ったこともある。

放課後、図書館で勉強していた時にそんなことを考えた記憶が残っている。

そして、神様に聞けば何か答えが分かるとでも思ったのだろうか、彼はついには校舎内にある教会へと向かった。サレジオ学院はミッション系スクールだったので、校舎の裏側にフランシスコ・サレジオを礼拝したカトリックの礼拝堂があった。

教会の内側は綺麗なステンドグラスと聖母マリア様の像があり、とても神聖な場所に思えた。

修一はその時、カトリックなどにはほとんど興味がなかったため、普段は学校の記念イベントなど特別な行事がある時以外は、礼拝堂に立ち寄ることなどなかった。

しかし、改めて見ると内部はこんなにも美しく輝いていたのか・・・

高校生だった修一は、フランシスコ・サレジオの記念像が礼拝堂の端の方に飾られていたので、それを見てみた。

「・・・当時の司教としては珍しいほど気軽に人に接する人物でした。敵、味方という区別もなく、出会う人を大切にした人です。分かりやすい話をし、どんな人をも受け入れ、出会った人自身が「自分は大切にされている」と感じるような接し方をした人です。司教と言う高い身分を持っていましたが、それを表に出さず、気さくなおじさんとして生涯を終えました。」

そんなような文章が記念像の石碑に書かれていた。

 そうだ・・・思えば自分は今までの人生で大切にされているという感覚がなかった。会社も大手企業というだけで何となくで入社して、彼女であった穂乃花とも何となくで付き合っていて・・・そして、案の定仕事で大ミスをしたら簡単にクビになった。そして、彼女である穂乃花にも簡単に振られた。そして、そんな時に琴と出会った。彼女はそんな不甲斐ない自分のことをとても大切にしてくれた。だからこそ、自分は救われたのだった。そして・・・そんな琴のことを大切にしようと思った。でも・・・それも結局仕事で失敗して、彼女も自分の元を去った。

 そんなことを思い出した・・・

そうだ・・・自分は誰かに大切にされているという感覚がないんだ。だからこそ人一倍愛を求めていたのだった。そして、それで辿り着いた先がこの道だった。そして、いつしか自分もそういった人たちが「自分は大切にされている」と思えるような作品を創りたいのだと思った。

 修一は確信した。

「誰かに寄り添うような作品を創る事・・・」

それが、自分なりに出した答えだった。

 そして夜明けが訪れて、早朝に廬山にそのような自分の想いをすべて伝えると

「いい答えだ。」

とまた必要なこと以外は一切そぎ落としたようなシンプルな表現で、ぼそっと一言だけつぶやいた。

そして、廬山は修一にこういった。

誰かの真似じゃなく自分が作りたい想いがなければ誰かにそれは伝わらない・・・

そして、それは自分だけの中にある唯一無二のものでなければ作品に魂は宿らない・・・

そして、人生を挽回したいとか輝かしい人生を取り戻したいとかそのような薄っぺらい理由では作品に憎しみしか宿らないのだと。

「今までのお前にはそういった憎しみの感情がかすかに見え隠れしていた。でも、この一晩でそれも吹っ切れたようだ。」

 そして、廬山は最後にこう言った。

「憎しみが晴れた先に光あり」

これが廬山が修一に伝えたかった言葉だった。